ふとしたたまたま
高校一年の夏の事、というから今から30年ほど前のことになるか、友達二人と連れだって海を見に若狭までツーリングに出かけた。バイクを買ったはじめてのツ−リングであり、晴れがましいような、偉そうなような気分もあり颯爽と出発した。
亀岡越えのワインディングロードで、つい調子に乗ってバイクを傾けすぎて転倒。大きなケガはなかったもののオイルキャップを閉め忘れていたため、転倒した拍子に油が漏れ、せっかくの新車は油まみれになってしまった。痛む体でバイクを起こした時には、ちょっと情けない気分になった。
それでもさらに海に向かってバイクを走らせ、宮津あたりだったろうか、もうすぐ海、というところで、ふとしたたまたま見かけた喫茶店でバイクを寄せた。3人とも初めての長距離ツーリング、海の風景を目前に控え気が高ぶっていた。田舎びた、これといった特徴があるわけでもない喫茶店であったが、そのころ流行のジュークボックスが隅に置かれてあった。
注文にきたウェートレスに「コーヒー!」と言ったときには、いっぱしの大人になれたような気がした。オートバイ、ジュークボックス、コーヒー、これにピンボールが加われば、そこはもうアメリカである。出てきた3つのコーヒーと砂糖との間をスプーンが何度も行き来し、テーブル中央に置かれ、なみなみ入っていた筈のフレッシュポットのクリームは、最後の一滴までもがコーヒーカップの中に消えた。
その後、ジュークボックスに向かって誰かが100円を入れ、6曲を選曲。
誰が選曲したかは忘れたが、横文字の曲が何曲か流れたあと”私の城下町”が流れた。 それまで話に夢中になっていた3人がそこで急に黙りだした。
”私の城下町”のゆったりとした流れが店内に拡がり、いつしかアメリカの風景を日本の古い街並みに変えていった。
あれから数年経ったある日、3人は再会した。当然昔話に花は咲き、あの時のツーリングの話になったとき誰かが言った。
「あの時、途中で喫茶店に入ったの覚えてるか?」
「覚えてる、覚えてる。あの時流れてた歌もよく覚えてる。」
ボクが「私の城下町」と言うと、みんな顔を見合わせ「やっぱり。」
そして誰かが「”私の城下町”を聞く度、どういう訳かあの時のツ−リングを思い出すんやなあ。」
・・・・・みんな一緒に「やっぱり」。
あの日、ふとしたたまたま入った喫茶店で聴いた”私の城下町”。
ささやかな、なんて事もないことやけど、それが延々と人の心の中に残って生きている。
歌との出会い、いや、人との出会いであっても、あの日あの時、ふとしたたまたまが人の心に新しい色を付けていく。
ふとしたたまたまが、人の人生の方向を決めることもある。
ふとしたたまたまが・・・
そやから人生って面白いんや。(2001年初冬)
秋の香り
晴れた秋の日、空に向かって大きく深呼吸すると、秋の香りがする.
秋の香りって・・・草の香り?木の香り?土の香り?八百屋さんの軒下に並べられた様々な果物の香り?町中を軽トラックで走り廻る石焼きイモの臭い?どこかの窓から立ち上った煙りモウモウ,秋刀魚の・・・。
様々な香りと臭いがごちゃ混ぜになって大気の中に広がっていく秋、大きく吸い込めば、鼻腔内にのどかな、ちょっとめまいのするような懐かしい気分が広がる。
秋の大気中には,鼻腔内深くにある人間の懐感神経を刺激し情操回帰現象をもたらせる物質が大量に含まれるのでは・・・と何かで読んだ、いや、どこかで聞いたような気がする。
まあ、どういう理由かは分からんが、秋は空気がとてもおいしい。おいしくてつい何度も何度も深呼吸してしまい、食べ過ぎてしまう。でも、いくら食べても太ることはないし、思い出ばかりが膨らんで、ちょっと寂しく、ちょっとシアワセな気分にしてくれる。
秋は良い、うん、とても良い。(2000年秋)
台風一家
大きな台風が来ると学校が休みになった。 そんな時は朝からおじいちゃんと親父が、ガラス窓が飛ばないように桟に板を打ち付けたりする。
母親は早めに買い物に出かけ、もしもの備えにと、どっさりいろんなものを買い込んで来る。
子供心にそうした様子を眺めていると、特別なお客さんを我が家に迎えるような
「台風さんが来やはんにゃ」 そんな気がして心躍るものがあった。 あの頃は台風に停電はつきものやった。
停電になれば用意しておいたロウソクを灯し、部屋の真ん中に立てて、 そこに一家全員が集まって炎を囲むようにして座った。
テレビも付かないから、みんな仕方なくロウソクに目を置きながらお話をすることとになる。
あの中で何が話されたのかは覚えていないが、 ロウソクの炎が、それを取り巻く家族みんなの顔に陽炎のように揺らめいていた光景は今でも覚えている。 風でいきなり家が軋みだしたのは怖かったけれども、 家族そろって困難をのりきろうと支え合っているのって、ちょっと暖かいものがあった。
台風一過。 見る見る天気が回復し、その後拡がる青空、星空。 淀んでいたチリや汚れが吹きとばされ、新鮮な空気あふれる透き通った空。
でも、ボクはその言葉をずっと勘違いしていた。” 台風一家”だと思っていた。
台風の夜に家族みんなでロウソクを囲んで過ごす家族の風景のことと思っていた。
だから、ボクの台風好きのもう一つの理由は、それなのかもしれない。(2001年夏)
風に吹かれて
昔、風小僧という子供番組があったが、そのタイトルだけでグッときたものや。
風がすきなんや。 冬の寒い夜、寝る時でも窓は必ず開けておくのも、きっとそれと関係あるのかもしれん。
小さい風から大きい風までみんな好きや。
たとえば、そよ風になんかに当たっていると、妙に懐かしいような気分になってしまう。
いつを懐かしがっているというわけではないんやが・・・でも、それだけでちょっと幸せな気分になれてしまうし、
少し優しい人間でいられるような気がする。 ゴーゴーと世界が叫ぶ台風のような風の中にいると、そのエネルギーが自分の体に湧いてくるようで
なんだって出来そうな、月にだって飛んで行けそうな、そんな気分になれてしまう。
そのヒリヒリとした妙に刺激的な快感が何ともいえんのや。 そやから台風が来ると、時々一人ぶらりと誰もいない町中を散歩することがあった。
昔、ボブディランの歌で、「風に吹かれて」が流行った。 あの曲の詩の一節に、
「答えは風の中にある」ってのがあったけれど、 風の吹く街を歩いていると、その答えというのが見つかるような気がしたものや。
そんなこんなで、オレ、台風大好きなんや。(2001年夏)
カボチャも馬車に・・・
コンビーフカレーで思い出したことがある。
昔中学1年の時に小学6年の同窓会があった。なんか面白い同窓会にしようということとなり、山に登り渓流の畔でカレーを作ろうということとなった。
その日、山道を登りやっとの思いで目的地に着いた。その時には腹はぺこぺこ。腹が減るのが何よりのご馳走、リュックをおろして”さあ、カレーを作るぞ!”先生の号令のもと、みんないそいそとそれぞれ分担のものを持ち寄り集まった。
ボクの役割は肉、まあいわばメインテーマである。 リュックを開きその中に手を突っ込んだ。突っ込んだとたんに顔色が変わった。
忘れた!急いでいて、冷蔵庫に入れておいた肉を入れ忘れた! 逃げ出したい気持ちになった。
そのことを告げた時の、みんなの顔色の変化は今も覚えている。そしてその変化を見て、より事態の深刻さを知った。思わず地べたに座り込んで放心状態のまま口も聞けない者もいた。
幸いというか、その時鮭缶を持って来ていた者がいた。 「タンパク質という点では似たようなもの」との先生の言葉で、鮭カレーに方針を転換した。
もちろん、出来たものはとんでもなくまずいカレーだった。 みんな妙な顔をしながら食べ、時折ボクの方をちらりと見る。その視線が痛かった。
ところが、それから時が経ちみんな大人になった頃、あの仲間と会うと、よく鮭カレー事件の話が出る。そして、ちょっと遠い眼をして
、「あの時のカレーは生涯忘れられないナ、二度と食べられないだろうなあんなカレー。もっとも、また食べてみようとは思わないが・・・。」と笑い話となる。
時間というのは不思議なものだ。 打ち捨てられた汚いカボチャがいつの間にか素晴らしい馬車に変わってしまうような、そんな魔法の力があるみたいだ。 (2001年夏)
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