その日僕は、入学式のためこれから通うことになる大学へと向かっていた。
私電に揺られながら吊革につかまっていると、車窓を流れる沿線の風景の中、そこ、かしこに桜が咲いていた。
新宿で山手線に乗り換えるため、ホームに立っていると、僕と同じ大学の徽章を付けた学生服、私服の学生が多数、同じように電車を待っている。
入学式に出るのだろう、だいたいが高校を出たてのようで、まだ幼さを残している。そんな中、学生服にひねた顔を載せたのが一名混じっていた。
よく見ると、プラットホームのゴミ箱の鏡に映った自分だった。
電車が着き、彼らに付いて一緒に乗り込むと車内はさらに多くの学生が乗り込んでいた。
プラットホームが車窓の後方に押しやられ、新宿高層ビル群も視界から消えた新大久保辺りで、またしても風景の中に桜が入り込んできた。
浪人となって旅に出たあの時、京都から中国地方へ、中国地方からから九州へかけて列車を乗り継いだ、あの車窓から見た風景の中にも確か桜があった。 あれから4度目の桜を迎えたことになる。
4年という歳月。
近づいてくる風景があれば、過ぎゆく風景もある。
電車は目的の駅に着こうとしていた。
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電車を降りると、新入生たちは、希望と自信に胸を 張って、入学式という晴れの舞台に向かっていくのだろう。
そういう僕もまた彼らと一緒に・・・、いや内心、頭を掻きながらではあるが・・・ と・・妙なことを思いついた。
今から思えれば、単に無頼を気取っただけだったのかもしれないが・・
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電車が目的の駅に着いた。
ドアが開き、学生らが、駅構内の出口階段に向かって殺到している光景を、
しかし僕は車内の中で見ていた。
発車のベルが鳴り止み、ドアが閉まった。
そして車両の学生は僕一人となった。
電車は動き始めた。 |
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池袋を過ぎ、日暮里を過ぎ、やがて電車は上野駅に着いた。
僕はそこで下りると、駅前近くの酒屋で酒を一升仕入れ、それを手にぶら下げながら上野公園へと向かった。
博物館へと通じる大通り両脇に沿って、満開の桜が並び、ござや、シートを敷いた老若男女がその下に集っていた。
そこ、ここの屋台では煙とともに香ばしい匂いがたち、大道芸人が大勢の花見客に囲まれ、歌や踊り、手品を披露していたりする。
僕は人混みから少し離れた小さな桜の木の下に一升瓶を置くと、あぐらを組んで座った。
酒の栓を抜き、頭上を覆う桜に瓶を掲げ、ちょっと一礼して見せた後、瓶を傾け喉に流し込んだ。 |
笑い声、叫び声、歌に手拍子、そして歓声と、およそ人間の作り出すありとあらゆる喧噪が周囲で渦巻いていた。
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そんな中、スイカを腹に抱え持ったような姿勢の妊婦がひとり、桜の下に立ち、目を細めて空を見上げていたりする。
空はどこまでも青く深く、風が桜の梢を揺らせば、その青の上には無数のピンクの花弁が舞った。
賑やかであり、それでいて、穏やかな静けさがそこにはあった。
まるで、遠い見知らぬ異国の地にでも迷い込んだようで、すべては新しく輝いて見えた。 頭上の桜を通して降り注ぐ木漏れ陽の中、そのさらさらとした感触を肴に、僕は飲み続けた・・・飲み続けた・・・そしてさらに飲み続けた。
やがて酒がまわり始めると、周囲の人も喧噪も目に、耳に入らなくなった。
そしてぼんやりとした視界の中を、時おり桜の花だけが、チラチラと舞い落ちていた。 |
それは季節はずれの雪のようにも見えた。
「サクラチル」
ふとその言葉が口をついてでた。 |
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すると、こぼれたその言葉がきっかけとなって4年という歳月の様々な断面が迫ってきた。
『三年とはすごい』思わず笑ってしまったこと。・・・
浪人を気取って、リュック担いで旅立ったあの日・・・
旅先のあちこちで見た桜・・・
親切な人がいるものだ、感激した相手が男色家で、必死に逃げたこと・・・
鳥取砂浜で野宿した時、遠く見たラブホテルの妖しいネオンに、悶々と眠れぬ夜を過ごしたこと・・・
針の跡で傷だらけになった指先・・・
カレンダーの日付の上に点々と並んだ血印の跡・・・
そして、何度も送られてきた電報「サクラチル」・・・
舞い落ちてくる桜は、まるで日めくりカレンダーがめくられていくように、目の前をよぎっては、消えていく。
桜は散り、散ってそして再び、次に咲くまでの準備にはいる。
一つの時代が終わって、そして新しい時代は始まる。 |
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気づいたとき、陽は西に傾いていた。
いつのまにか、僕は一升瓶を抱え込んだまま眠り込んでしまっていた。
抱えた一升瓶の半分はなくなっている。
止まっていた時計が、再び動き始めるように、しだいにまわりの喧噪が高く耳にとどき始めた。
笑い声、叫び声、歌に手拍子、そして歓声・・・
僕は、ぼんやりした頭を持ち上げるようにして、足を折って立ち上がった。
そして尻にこびり着いた土を払い落とし、少しためらった後、残った酒を桜の幹に傾けた。
酒はドコドコと音をたてながら地面に飲まれていった。
空となった瓶にはいくつもの桜の花弁が張り付いている。
僕はもと来た道に向かうと、サクラに彩られた一升瓶を手にぶら下げた。
そして、大きく息を吸い込むと、目の前に拡がるサクラ咲く向こうにある、新しい季節に向かって歩きだした。
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THE END
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