シルクロードの旅 最終章 砂漠 その1 女体の神秘(成人指定) | |
随分と昔の話になるが、「女体の神秘」というドイツ(当時は西ドイツ)の映画が話題になったことがあった。 何が話題を呼んだのかは知らなかったが、その妖しげなタイトルとともにそれは成人指定になっていた。 そのころ中学生であったワタクシ、そのタイトルと成人指定という誘惑に我慢ならず、同級生に声を掛け、数人で見に出かけることにした。 友人の中でも一番大人びた顔を持つK(実際彼の顎には所々ひげが生えていた)が、全員のチケットをまとめて買い、改札ではみなそろって俯いたままそれを差し出した。 映画は全くのタイトル通りの作品で、女性の体が持つ神秘性と生命誕生の奇跡といったものを、ミクロの映像も交えて感動的に描いたものだった。しかし我々がその映画に求めていたものはそういった感動ではなかった。 みんな大切な小遣いをはたき、1時間近くもバスに揺られ、期待に胸をときめかせながらやってきた。そして見たものが精子と卵子の結合の瞬間といった、理科の教材フィルムのような・・・ 帰りはみな無口だった。 途中ラーメン屋に立ち寄ったが、みんな余り話すこともなく、ラーメンの汁をすする音だけが妙に切なかった。 |
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砂漠について 人間に、そして生命に男と女があるように、自然にも男があり女があるとすれば、峻険な鋭い直線を天空に向けそびえ立つ山は男で、広大で優美な曲線を描き大地に拡がる砂漠は女と言える。 この砂漠に向かっていると、まるで音楽を目で聴かされているような不思議な気分になってくる。 ショパンのメロディーそのままを地表に描いたかのような、風と砂が作り上げた甘くしなやかなラインの数々。 空と砂、光と影以外何ものをも持たぬ純化された空間。 遅々とした光の移ろい以外に動くもの無く、ただ遙か天空をわたる風の音だけが轟々と響いている。 しばらくその中に身を置いていると、やがて自分という存在そのものが消え、それとともに妙な力で、妙な声によって砂漠に誘い込まれて行くような様な気がしてきた。 「あの内へ向かって行きなさい・・・彷徨いなさい、どこまでも、どこまでも歩き、彷徨いなさい・・・そしてやがて到達することでしょう」 そんな妙な甘い誘惑のような・・ 「いったい何処に・・?、何のために」 しかしそれは探検家が未知なる世界に抱く冒険心といったものとは異なる何か・・・人間の内に潜む暗い本能にでも囁きかけるような・・・ 海もたとえて女とされることがあるが、それは母性としての女である。 しかし砂漠に生命を育む母性は存在しない。砂漠はあらゆる生命の命を絶ちすべてを無機へと還元し地殻内に引きずり込んでしまう死の大洋である。 しかし不思議なことに砂漠の持つ美しさは、それ故の美しさでもある。 それは男を惑わす妖女の媚態に似ている。 理性という 「さあ、私の内に入って来なさい、その時アナタはアナタ自身から解放され物に還っていくのです・・・物に還って、そしてアナタは本当の自由になる・・完全なる自由に・・・ 」 もし仮にワタクシが写真家であったりして、砂漠に関するこういった作品を出品する機会があるなら、それには次のようなタイトルを添えてみたい気がする。 「女体の神秘(成人指定)」 懐かしさと軽い |
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砂漠 その2 ロバのいた風景 |
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こちらの短距離輸送の主力をなすのはロバである。 ロバは生き物としてでなく耐久性の優れた機械として扱われる。操作は簡単、1m程の棒でその胴体上部をひっぱたけばよい。すれば機械は音を立てることもなくゆっくりと動き出す。 さらにスピードが欲しければ、欲しいだけたたけば時速25kmくらいまでは引っ張れるはずだ。馬力は0.5h/p あたりだろうが、粘りのあるトルクを発生する。 しかしこの機械も道ばたに繋がれているときなど、突然自分が生き物であることを主張することがある。泣く、いや啼くのである。 いったんそれが始まると、その啼き方たるや尋常ではない。まるで井戸を汲み出すネジの緩んだジャッキに1KWの拡声器を当て、上下に動かしたような鋭い金属音を放つ。それは1km四方にまでとどく程である。 最初にそれを聴いた時、ロバもついに壊れたのかと思った。 ロバというのは何かと分の悪い生き物である。 「がんこ、のろま、愚か者、ドンキホーテ、ロバの耳に御詠歌、ロバ見たことか、ロバったなあ・・」 と、でたらめを並べてみたが、とかくロバのイメージというのは悪い。 一方、ロバによく似た馬はと言えば、美しいもの、しなやかで力強いもののたとえに使われる。 実際馬がアゴを引いて頭を上げ、前方斜め上に凛とした目を向けて立つ姿は、いかにも凛々しく、また頼もしく見える。 それに引き替え、ロバの視線というのはいつも低い。稼ぎの悪い亭主が妻の小言にじっとうなだれ耐えている姿にも似ている。 |
ある時、悪ガキどもが面白半分にロバを棒で殴っているのを見たが、その時ですらロバは啼きもしなければ、攻撃のそぶりすら見せることなく、ただ殴られていた。 しかし、ポツネンと一匹、繋がれたまま何もすることがない時など、突然啼きだすことがある。気でも触れたかのように、すさまじく啼く、啼き、それが終わると、再び静かにうなだれている。 一見卑屈にも見えるこうしたロバも、よくよく近づいてみると、実に美しい澄んだ目を持っている。この世に対して過剰な欲も期待も抱くことなく、ただ実直であることに徹すると言った透明感、静けさを漂わせた眼だ。草を食んでいるその時でさへ欲望というものがその眼に表れることはない。 たまたま荷を引く馬と併走して走っているその姿を見たりなどすと、 「がんばれロバ、負けるな!」 思わず声援を掛けてやりたくなる。 ロバといえば誰でも知っているありふれた動物ではあるが、では、実際にロバを見たことがあるのか? と問われれば、 「はて?・・・」 なぜかこれは動物園に行っても見られない。 私の遠い記憶をたぐっていっても、ロバ・・ロバ・・ロバねえ・・??・・! |
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ハッとそこで思い出したことがあった。 ロバは日本にいた。それもごく日常の風景の中に。 テレビがまだそれ程日本に普及していない頃だったろうか、「ロバのパン屋さん」というのがあった。 飾り付けをした小さな馬車にガラスケースを乗せ、そのケースの中に菓子パンを並べ、ロバに引かせて売って廻るという商売である。馬車の上には安直なスピーカーが備えられ、そこからボリュームいっぱいに割れるような歌が流れていた。 「ロバのおじさんピンカラピン。ピンカラピンと・・・」 ある時それが小学校の授業中に流れてきたことがあった。 「分母といううのはだな、読んで字のごとくに、つまり分数のお母さんに当たる訳で」 教師が黒板に拳を叩きつけながら熱心に教えているその時、校舎に面した道路よりいきなりそれが鳴り出した。 「ロバのおじさんピンカラ」 先生の声が一瞬詰まり、振り上げていた拳が宙に浮いた。 生徒たちの表情がにわかに輝きだし、クス・・・クス・・・クス 押し殺したような笑いが、そこ、ここで漏れ聞こえた。 教師は大きくひとつ咳払いをして気を取り直すと、さっきよりも大きな声を張り上げた 「分母というお母さんがだな、分数の下にきて、分子というおまえらのような頭の軽い子供を分数の上にのっけって・・・」 しかし子供らの耳は外に向いたままだった。 あの頃パンといえば、チョコレート、バナナ、と合わせ横文字御三家の一つに数えられ、それなりの敬意を払われていた時代だった。 「私の家、朝食はパンなの」 と宣われようものなら、思わず腰が引けた。それだけで充分にステイタスシンボルになり得た時代だった。 「ロバのパン屋さん」とは、うまく名付けたものだ。 まるでロバが自ら白い調理帽を被りパンを焼き、それをみんなに配るた めにお話の世界から抜け出し、やって来たような・・・そして飾り付けられた馬車はお菓子で拵えられた家のようにも思えた。 たまたま家の近くに来た折りなどは、膝に擦り傷をいっぱい拵えた近所の洟タレどもが(私も含め)、汚れた顔を寄せ合い、そこに群がった。 誰もがみなロバに触りたい、でも怖い、おそるおそる手を近づけ、いざ触れてはみても、ロバの耳や背がピクリと動くや弾かれたように手を引っ込めた。そしてみんな顔を見合わせ驚きの声を上げるのだった。 そんな時でもロバは項垂れたままただ静かな眼を瞬かせるだけだった。 よくしたもので、ロバ見たさに子供らが集まる、そこで当然ガラスケースに並べられた菓子パンにも目がいく、うまそうである。たまらず飛んで帰り、渋る母親のエプロンを引っ張りながら出てくる。それがこの商売の付け目である。しかし、付け目というには罪がない。 もっと昔には飴売りの紙芝居というのがあったらしいが、それも同じような手口だろう。 あの頃ひとつの菓子を買うにも売るにも、それなりの舞台装置と時間を要した時代だった。そしてそうしたアメ1個、パン1つの中には、子供らの夢が詰まっていた。 一世を風靡し毎日のように街に流れていたあのメロディーも、いつの頃からかパタリと聴かれなくなってしまった。 テレビが全国的に普及し出した辺りだろうか、その頃にはもう子供たちはロバに興味を示さなくなった。そして母親はガラスケースの中の、包装もされていない剥き出しのパンに不衛生を感じ、買い控えるようになっていった。そしてやがて街の風景からロバは消えた。 ロバは日本の急激な消費経済の拡大と、科学文明の発達に取り残され、それによってもたらされた無菌社会にあっては、汚いもの、臭いものとして排除された。 今日、日本の街でロバを見ることはもう無くなってしまった。 今から思うと街からロバが消えたその頃から、日本という国は大切な何かを失っていったようにも思える。 そして、大量消費、高度経済成長の波に乗り、ひたすら利便性、生産性のみを血眼になって追求してきた。 やがてそれを達成し、世界でも類を見ない物質的豊かさを手に入れ、 先進国としての地位を築いた今日に至って、その余裕からか時にふと我に返ってみたりする。 例えば、珍しくビルの頭上に拡がった鮮やかな夕映えに目を奪われた折りなど、ふと立ち止まってそれに向かい、一時の間何かに思いをはせる。 過去置き去りにし、捨て去り、もはや取り戻すことのできない数多くの何かに・・・ しかし日本という社会が、便利で豊かなモノ社会を実現するために無駄を切り捨て、科学文明への信仰に走った20世紀後半を経、そして 今や、価値は「物から情報へ」と変貌するIT革命というその流れに乗った、いや乗らざるを得なかった以上、そうしたものへの思いは単にむなしい感傷でしかないことにも気づく。 気づき、やがて再び視線を戻して前に向かうと、そこには未来に向かって真っ直ぐに伸びている道が見えるようだ。 カーナビの画面に映し出されたようなチリひとつない道が・・・ 最短距離が瞬時に弾き出され、最も効率のいい歩き方が指示される道。 その道では、人は道草を食うことも、誰かに道を尋ねる煩わしさの必要もない。マニュアルにさえ従って行けば、誰の助けを借りることなく、一人で、迷わず目的に向かって歩いて行ける整備された道が。 「目的に向かって?・・・いったい何処に向かって?・・何のために?」 砂漠を前にした時の素朴な疑問が湧いてくる。 その時マニュアルはどのような回答を用意しているのだろうか? コンピューターの2進法によってしか答えの導き出せないマニュアルには、 「計算できません」 そう答えるしかないのだろう。そして速やかに、次の道程の説明に切り替え、その指示を告げてくるだろう、感情のない無色透明の声で・・・ もう一度 「何処に向かって?」 今度は自分自身にその問いかけを向けた時、その時、実はもうそれ以外に選択の道がないのだということを知る。 目的が何処であれ、何であれ、時流というその抗い難い大きな流れに乗って歩いていく以外に道はないのだということを知る。 道が向かっている、その先にあるもの、 それがたとえ人間を物に変えてしまう砂漠であったとしても・・・ |
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シルクロード中国編 了 |