高校生も卒業式を残すだけとなった桜がつぼみを結び始めたある日、受験した大学からの電報を受け取った。  
 「サクラチル」          
 そこにう打たれてあった。           
 「よっしゃ」      
 気合いを入れ、電報をポケットにねじ込むと、僕はさっそく浪人としての準備に取りかかった。
 
 まずは新聞配達で貯めておいた金をおろし、必要と思われる参考書類、問題集を買い集めた。次いでスポーツ店へ行き30リットルのリュックに、寝袋、簡単な自炊道具を買った。   
 そして、卒業式を終えると、参考書をリュックに突っ込んで旅に出た。 
明らかに本来の浪人の意味をとり違えていた。  

 次の年の春、再び受け取った「サクラチル」の電報を見て、             
 「えらいこちゃ」    
 そう思ったが、しばらくするとこりもせず、また旅に出た。
 そして次の年も再びサクラは散り、ようやく反省はしてみたもののほとぼりが冷めると、やっぱり旅に出た。
 さらに次の年送られてきた電報の「サクラチル」には、さすがに3日間寝込んだ。 

 「ギネスに挑戦してんじゃないんだ。働け!」 
周囲の声に、逆に意地となってやっと始めた本格的勉強。
 朝夕のアルバイトの時間は除き、1日の12時間を学習に当て、食事にいたるまでを 全てスケジュール化した。
 決めたことは守る。守らない時は厳罰を!
そう決意した。


北野、さくら通
このような桜のアーケードが300メートル以上続く。
この季節、ちょっと遠回りしてもこの道を通ってしまう。この中に入り込む時、車も人も、そして人の心までもが、桜に染まる。
 厳罰の内容は、幕末浪人の血判状からヒントを得た。脇差ならぬ工作用小刀で指を切り、血でもってカレンダーのその日の上に「御免」の証、血印を記すというものだった。
 人参を目の前にぶら下げて走るのではなく、自分の尻に火を付けて走らせる方法。これならいかに怠惰であっても予定は守るに違いない。そう思った。    
 
 ところが初日からさっそく小刀のお世話になるところとなった。 
時代劇では、顔をちょっとしかめるだけで、いとも容易く切ってのけるのだが、いざ自分で指の腹に小刀を当ててみると、切っ先はやけに冷たく、とたんにひるんでしまいため息がでた。そして考えた。       
 しかし何を考える?・・・やるか逃げるか、そのどちらかしかない。
「やる」  
 頭を空にして、思い切って小刀を引いたら痛かった。          

 数日してまた予定が狂った。
 1本の指の先にはすでに包帯がまかれている。
 またしても考えようとするその考えを払いのけ、今度は違う指にナイフを入れた。 そして終わってから、2本の指先の包帯をしみじみと眺め今度は考えてみた。
 手に指は10本しか付いてない。   
 仮に3日に一度の割合で予定が狂えば、1ヶ月で全ての指に包帯がかぶせられることになる。
 『バレーボールの選手みたいやなあ・・・』 
そう思ったところで、急にばかばかしく思えてきた。
 そこで現実的妥協案として、小刀を針に持ち替えた。
 つまり必殺仕掛人、梅安でいくこととした。       
 針といっても痛いには違いないが、一本の指で五回程度刺しても持ち堪えられそうだ。それに傷跡は赤ちん一滴垂らせばすむ。    
 しかし一日を終えた夜、背中を丸めて針で指を突き刺す時の格好は、あきんどが夜こっそり隠し壺の銭を数えている様に似て、自称浪人として情けない気もした。         

 しばらくして案の定、カレンダーの日付は点々と赤く染まっていったが、その甲斐あってか生活態度は浪人ではなく、まじめな受験生のそれになっていた。
  
 しかし慣れぬことはするものではない。
 3ヶ月程経ったある日、突然の胃痛に襲われた。
 あわてて病院に駆け込むと、十二指腸潰瘍を拵えていた。   
 
 手術するまでのことはなく、通院するだけですんだのだが、当初希望していた大学は、そこできっぱり諦めることにした。
 
 そして次の年、電報に初めてサクラが咲いた。 

 絢爛とまではいかぬサクラではあったが、  それでも正直嬉しかった。
その時、すでに高校を出て4年の歳月が経っていた。
 
4年間という長い航海、というよりも漂泊の果てにやっと着いた小さな港町。 ともかくも錨を降ろすことの出来た安堵感があった。