シルクロードの旅 3
日曜市(星期天市こちらではそう書く)
日曜市といって日曜ごとに開かれる市がある。(ほかに月曜市、金曜市もある)
その市の立つ大通りでは、日曜日ともなるとヒト、ロバ、人、駱駝、ひと、ひつじで埋め尽くされ、人、獣入り乱れた濁流のような光景となる。(下の写真>
こういった中を歩くと、シルクロード華やかなりし昔、例えばモンゴル帝国の全盛の頃の市場風景と変わらないのではないかと思われてくる。 売られていた物は日常の食材が主で、生活用品、衣料品などは比較的少なかったが、貨物トラック替わりにロバが売られていたりした。ちょっと気の利いた店では、商品は陳列台替わりの板きれの上に載せられているのだが、だいたいは地べたに直接並べられている。 もちろんそうした物に値段の表示などなく、値は双方その場の交渉によって決まる。 |
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泣き落としあり、恫喝あり、物々交換あり、何でもありの交渉で 、店の前は、売り手、買い手の真剣勝負の舞台となる。 そういえば、道行くどの人の顔にも、日本の「お買い物」に向かうのとは違う、ちょうど賭場に乗り込む博打うちのような気迫が漂っていた。 西安などの漢民族の文化圏では、食い物屋台の集まる一角で、よく茹であげられたブタの顔に対面した。 棚板の上にブタの頭ばかりがズラリ、顔をこちらに向け一列に並んでいるのを立ち止まって眺めて見ると、棚板はちょうど晒し台のようにも見え、江戸時代の仕置き場に晒された生首の群を見たような気がしないでもない。 |
中には「納得いかない」といった苦渋の、まるで歌舞伎役者が大見得を切ったような顔が載っていたりするのを見ると、 「さぞや無念であったろう」と、ワタクシ日本人などからすれば思うのだが、こちらの人にすれば、「うまそうな顔をしている」ということになるのか。(これを残酷と見るのは間違い、単なる食習慣の違い) イスラム圏であるホータンでは、それが羊の頭にとって代わる。 あの頃よく行ったホータンの夜市の屋台屋にも羊の頭を食べさせる店が何軒かあった。 店の裸電球の下、底の浅い大きな円形の鍋が湯気を立ち昇らせており、その鍋の周りぐるり縁に沿って、茹であげられた羊の面々が整然と並べられている。 みんな好き好んでそんな所に載っかっている訳ではないのだが、ブタに見たような「死してなお迫りくる」といった迫力がない。 「人生、無常なり」と達観したように目を閉じ、淡々と載っている。 しかし、その肉の味となるとこれがまるで違う。 羊は、他のいかなる肉よりも強烈に主張する。 |
生きている羊のそばに寄れば分かるのだが、極めて強い、酸味の利いた(コーヒーのモカではない)体臭を持っている。 ワキガに掛かった牛がいたとすれば、かような酸っぱい臭いを放つかもしれない。 そしてその臭いは肉にまでもこびりついてくる。 さらに、その臭いは食べた人間にまでからみついてくるから、何という執念深さか。(羊を食べる民族の体臭は強いように思われる) あのような執念深い味を「肉」とするなら、こちらの人には、日本で我々の食べる肉料理など「肉」を食べたという気がしないのではないだろうか。 |
あまり羊ばかり食べていると、無性にそれ以外の肉が食いたくなる。 ここは中国、肉と言えば豚である。(こちらでは、猪と書く) ところが圧倒的にウイグル人の多い、ホータンでは漢民族の経営する料理店で注文しても豚肉はないという。そのくせブタの足、しっぽ、耳、臓物の類なら置いてある。 無いとなるとなおのこと欲しくなるのは、もって生まれたワタクシの悲しい性か。 「ブタニク、ブタニク、ブタのニク。 ブタニク、ブタニク、ブタの・・・・・」 念仏のように唱えながら豚肉を求めて町を徘徊して廻ったが、ついに 「ブタのニク」は見つけられなかった。 どの食い物屋のメニューにも豚の次には耳、鼻、足、しっぽ、臓物、となっており肝心の肉という漢字だけが抜けている。 あまりの理不尽さと、ブタのニクへの募る思いで、 「こちらの豚は、頭と足に内臓としっぽをくっ付けて歩いている珍種か」と食ってかかりたくなった。 |
イスラム教の戒律では、豚肉はダメと言うことになっているからなのだろうが、ではなぜ鼻やしっぽは良いのか、臓物は良いのか。 「戒律には、豚肉ダメと書いてある。その耳や鼻、しっぽ、臓物、ダメとは書いてない」 といった「ベニスの商人」ばりのウルトラ解釈で中国政府とイスラム教が手を打ったのではないか? 私は密かにそう思っている でも肉、つまり本体はどこへ消えてしまったのか? アジアという国々を見回してみても、日本のように牛肉が肉の代名詞という国は珍しい。(もちろん焼き肉の本場韓国は別である) そして国の数からすると圧倒的に羊を食べる国が多い。 つまり地球的に見れば、アジアという地域は、肉と言えば羊を指すことになるのかもしれない。 これ、アジアに目を向けることの少ない日本人の盲点ではないか。 |